サウジアラビア王国駐日大使講演

昨年の11月26日(木)午後、講堂にてサウジアラビア王国駐日大使アブドルアジーズ・トルキスターニ大使をお招きして校友会寄付講座が実施されました。中高 生・教職員・校友会員約1000人の温かな拍手と歓声に迎えられた大使は、1時間の講演を流暢な日本語でお話しされました。

今回大使のご許可を得ることができましたので、当日の講演の内容を掲載させていただきます。

サウジアラビア王国駐日大使アブドルアジーズ・トルキスターニ大使 講演

皆さんこんにちは。わたしはサウジアラビアから参りました、トルキスターニと申します。

わたしは今日、ここに来て、藤沢の学校の生徒の方々に、非常に心から感謝しております。よろしくお願いします。
わたしは今、丁度何十年か前の話をひとつ思い出しました。それはわたしが高校一年生の頃、サウジアラビアの家でテレビを見ていました。テレビではサウジアラビアの王様と日本の天皇陛下が映っていらして、その二人の間に日本人の通訳の方が座っていました。わたしはその日本の通訳の方を見て、自分のお母さんに「日本語の通訳の仕事をやりたい」と言いました。すると、わたしのお母さんは「通訳ではなく、サウジアラビアから日本に派遣される大使になりなさい」と言われました。それが私の夢になりました。そして、その夢が実現して、今わたしはサウジアラビアの大使になったということです。

一つ大事なことは、ここにいらっしゃる中学生、高校生の皆さんも、今のうちから一所懸命に勉強をして、これから自分が何をやりたいか、将来どういう事を勉強していきたいかということを今から考えて、自分の夢を実現できるように頑張ってください。今は一番いい時代です。インターネットとか、テレビとか、新聞を見て、わたしも大使になりたい、偉大な人になりたい、この社会の平和のために役立つ人間になりたい、そういうふうに頑張って欲しいと思います。いいですか?ではみなさん、これから大きくなったら日本の大使になりたいと思う人は手を挙げてください。何人くらいいるのですか?政治家になって、大使になりたいという生徒は何人くらいいるのですか?・・・、誰もいない?残念ですね。あ?そうじゃない?・・・一人、二、三、四、五、・・・もっと、おお、すごいじゃないですか。十、・・・すごいじゃないですか。大きな拍手をしてください。(拍手)そういうことで元気を出して、わたしは絶対にお医者さんになりたい、お巡りさんになりたい、或いは、大使になりたいと今からずっと考えて、一所懸命になってくださいね。

わたしが初めて日本に来たのは4月7日午後6時20分です。成田空港に到着しました。その時は日本語は何も知らなかったんです。ひとつだけ「もしもし」という言葉だけでした。でも「もしもし」はどういう意味か?ちょっと気持ち悪い感じの言葉だと思って、全然わからなかったんです。

やっぱりわたしはお母さんの夢を実際のものにしたいから、もっと頑張らなくちゃと思いました。成田に到着して、留学生会館というところに泊まっていたんです。留学生会館というところは、おじいさんが一人いて、でも英語はできなくて日本語ばかり。わたしも日本語ができない。最初に部屋に案内されて、もっと大きな部屋があると思ったんですけど、こんな小さい部屋で、あなたはここで四年間暮らしなさいと言われたんです。とてもびっくりしました。日本はやっぱり小さい国だ。しょうがないから、これからもっと頑張って、勉強したいと思ったんです。

でも、日本に来て一つ大事なことを見つけました。それは日本人は心があたたかいということです。優しい人が多いのです。わたしが今まであった日本人は殆どの人が優しい日本人だったんです。優しく、親切で、丁寧に挨拶をするというような国は世界の中では少ないのです。それはなぜかというと、ひとつは「教育」ということがあります。もうひとつ大事なことは両親のことを大事にする、日本はお父さん、お母さんを大事にする国であるということなんです。みなさんもお父さんとお母さんを大事にしていますか?・・・していますね?・・・していない?・・・してる?・・・していますね。他の国が悪いということではありません。自分が何でもやりたいという我侭ばかりをいうのではなくて、お父さん、お母さん、家族を大切にする、だから日本という国は世界の中で一番大事な国なんです。アメリカと日本が一番大事な国です。経済のこともありますが、家庭のことによってそういう国になったとわたしは信じております。そして、そういう立派な国について、わたしはぜひその国に行って、勉強をしたいと思ったのです。それで、日本に来たのです。アメリカや、ヨーロッパにも国はいっぱいありますけれど、どうして日本に来たいと思ったかというと、さきほど言った通りの理由だからなのです。

そしてまた、わたしはたまたまマーケティングとか、コマーシャルとかのことを勉強したかったから、日本がおそらく面白いかなぁと思って日本に来たのです。日本に来たのはそういう理由でした。でも、もうひとつの理由は先程の教育が先ずあって立派な国になったと考えたので、日本に来て勉強することにしました。

そのおかげで、わたしは夢に見た大使になりました。わたしも、ここにいる学生の皆さんも夢を持って、頑張ってください。あなた達は日本人です。日本はどこに行っても尊敬される国ですから、是非そのアドバンテージを利用していった方が良いと思います。

わたしはできることなら、サウジアラビアの中学生と高校生を、来年にでも何人か日本に連れてきて、たくさんの日本の学校を見せて、立派な学校があるということを知ってもらいたいと頑張っています。また、よかったらみなさんもサウジアラビアに行って、どういう国かということを見て欲しい。家に帰ったらインターネットを使ってサウジアラビアという国はどういう国か見て欲しい。面白いと思います。サウジアラビアについての今の皆さんのイメージは石油の国、石油と砂漠の国というイメージですね。でも、石油、砂漠以外にもいっぱいあります。そういう事を是非勉強してください。

わたしはサウジアラビアからの留学第一号の生徒だったんです。30年も前の話なんですけれど。今は日本の政府とサウジアラビアの政府のおかげで、300人くらいの学生が日本にいるのです。早稲田大学などの大学に通ったりしている学生がいるのです。その中の60名くらいは中学生、高校生です。今は日本の学校や、国際学校に通っているのです。やっぱりこれからもそういう日本とサウジアラビアの文化の交流の話を考えて、頑張っていきたいと思っております。我々は日本はいろんなことを勉強できる国ということで尊敬しているのです。

さて、日本には大使としてやって来て、八年間滞在していました。それで一度サウジアラビアに戻ったのです。その八年間の中で日本人について何が一番良かったかという質問を受ければ、そのひとつの答えは日本人はよく働くという事になります。でも、時々働きすぎますね。我々も家に帰ってもお父さんに会う機会はなかなかありません。最近は少しずつ変わってきたかもしれませんが、昔はお父さんは一所懸命に働いて、家にかえるのは遅く、朝は早かったですね。

ひとつわたしの中に残った日本のイメージは日本人はすぐに助けてくれるということです。例えば電車に乗る時、切符を買う時にわたしのそばに来て、”メイ・アイ・ヘルプ・ユー?” とか聞いてくれる。わたしは簡単な日本語で「新宿に行きたい」とか、「高田馬場に行きたい」とか言えばいい。・・・昔は「高田馬場(たかだのばば)」ではなく「高田のジジ」と言っていたのですよ?ちょっと面白い話なんですけど、そういう意味なんだと思っていたんです。駅員さんが「高田のジジ」ではなくて、「高田のババ」ですよと教えてくれたのでわかったのです。そういう面白い話があったのです。

それに先生たちも優しい先生たちでした。早稲田の先生が非常に優しかった。よく我慢してくれました。日本語は「あいうえお」を勉強することから始まりました。だから習得までに非常に時間がかかったんです。わたしのクラスの中には中国人や韓国人もいました。彼らは漢字が書けるのです。私たちは漢字を書けないので、時間がかかりました。それで先生も大変だったんです。それでも、先生たちがよく我慢して、勉強を教えてくれました。

優しかった、そういうイメージはまだ残っているのです。今の皆さんの先生は優しいですか?・・・優しいですか?・・・えっ?なに?・・・はい、そうですね、優しいですね。みなさん、「はい」と言ってくださいよ。そういう優しい先生がいっぱいいました。

もうひとつ日本人のイメージは、外で食事をすることが多いということです。サウジアラビアでは逆で、家に帰って食べることが多いのです。外で食事をするという習慣が無いのです。

一度蕎麦屋さんに行ったことがあるのです。その時初めて蕎麦を見たのです。最初はわたしは蕎麦は測って食べるのだと思いました。だからわたしは店に入って「1メートルください」と言ったんです。面白いでしょ?そういう事があったんです。わたしは全然知らなかったのです。

もうひとつ、わたしがバスに乗った時のことです。わたしは高田馬場からバスにのって、「早稲田正門前」というアナウンスを聞いたらバスを降りてくださいと先生から言われていました。バスに乗っていると、バスが途中でぐるっと曲がったりしていたのです。バスが曲がる度に「バスが曲がりますので、ご注意ください」と言うでしょ?わたしにはそれが「バスが曲がりますので、五十円ください」と聞こえたのです。本当にそうなんです。だから運転手さんに五十円払ったのです。そして、「すみません、あと何回曲がるのですか?」ときいたのです。「なぜバスが曲がるのに五十円を払う必要があるのですか?」ときいたのです。すると運転手さんは「アイム・ソーリー」とか答えて、バスが曲がるからといってお金を払う必要はありませんと言ってくれました。それで、隣にいた日本人が優しい人で「これは『ご注意ください』と言っていて、『五十円ください』ではありません」と教えてくれたんです。わたしは全然知らなかったのです。そういう話はいっぱいあったんですよ。わたしはここで、本当はもっと難しい話をいっぱいしたいと思ったのですが、今は皆さんがリラックスする時間だから、ちょっと簡単で、わかりやすい話をすることにしようと思いました。

これからのサウジアラビアと日本は、サウジアラビアと日本の五十年の歴史の中で日本語が少しでも話すことが出来る大使は初めてですから、やはり違うものになります。この間、わたしは天皇陛下にお会いして挨拶をしました。その時、通訳が必要ですか?と聞かれて、わたしは「いや、大丈夫です」と答えたのです。そして陛下と日本語でお話をしたのです。陛下も喜ばれて、「こんな(日本語を喋ることのできる)大使もいらっしゃるのですか」と喜ばれて、嬉しかったのです。そのおかげで、お話もしやすかったです。それはやはり、言葉というものが非常に大切だからです。

私たちサウジアラビアの学校も日本と同じ6・3・3制です。英語の勉強が中学1年生から始まります。最近は少し変わってきて、もう少し早く勉強を始めるようになりました。

私たちも母国語は英語ではなく、アラビア語です。言葉は、語学は大事だと昔からわたしは思っています。なぜかというと、言葉そのものではなく、言葉の裏側に文化があるからです。わたしは言葉を勉強して、日本の文化を勉強することができました。日本のことを勉強しました。いろんなことを勉強しました。いろんなものを見ました。先程も隣にある寺(遊行寺)に行って、お坊さんに会って、話を聞いてきました。日本語ができないと、通訳が必要ですが、通訳があってもわからないところはいっぱいあります。だけど、日本語が理解できると、やはり、分からないよりは早く、簡単に文化を理解できます。だから、もし時間があったら、日本語と、少なくともあと2か国語を勉強して欲しいのです。一つは英語です。英語は国際的な言葉ですから、世界中どこに行っても英語がわかれば大概何でもできてしまいます。そして、もう一つ、例えばフランス語、スペイン語とか、アラビア語とかを勉強して欲しいのです。

サウジアラビアにはこんなことわざがあります。「一つの言葉がわかると一人の人間になります。二つの言葉がわかると二人の人間になります。三ヶ国語になると三人になる。」言葉がわかると、どこに行っても困らなくなりますし、いろんなことができるようになります。インターネットでも、映画を見たりするときも勉強になりますね。

では、最後にわたしは一つ、先程話をした中で、みなさんにアドバイスしたいことがあるのです。それは昔、私自身も先生から聞かされたことなのです。1日は24時間ですね。24時間の中でみなさんは何時間遊んでいますか?何時間勉強していますか?「勉強」というのは、「宿題」の事ではなくて、宿題が終わった後に、時間を作って、例えば図書館に行くとか、インターネットで調べ物をするとか、学校の科目の勉強だけではなくても構いません。そういう勉強を24時間という時間の中で必ずとって、少なくとも、8時間くらいは勉強して欲しいのです。それがわたしからのアドバイスです。わたしが中学生、高校生、大学生の時は、毎日必ず、少なくとも4、5時間勉強していました。そうすると大きくなってからあまり困らなくなります。もっと良い人間になれるように、今は少し我慢をして、勉強をしておけば、大きくなってからリラックス出来るということです。そういうことがわたしからのアドバイスです。

そして、もうひとつは、時間があったら是非、サウジアラビアのことを知ってください。日本とサウジアラビアについて考えてください。もっと何をすれば良いのか。文化を結ぶ橋を作ってください。サウジアラビア人も日本人も同じ人間ですから、笑ったり、泣いたり、スポーツをしたり、同じ人間です。変わりはありません。世界が平和になるためには、人間は自分の心に平和を作っていった方が一番良いと思います。

このへんで、少し長くなりましたけれど、今日は本当に皆さんにお会いして非常に嬉しかった。ベリー・ハッピーですね。ありがとうございました。

以上。